イチこの日記

人生に必要なモノ。それはあそびゴコロ、

命の重さとか、大切さとか

皆さま、こんばんは

 

私の部屋はクーラーがないですが

今の所何とか暮らしていくことができます

平均温度が後2,3度上がったら

クーラーの購入を検討しようかしらと

思っているイチこです

 

なんで、このお題?

先日、お兄ちゃん(お世話になってる人、友達というか

仲間というか、自分の中で関係性を表すと

「お兄ちゃん」という言葉がしっくり来ます)と

お話ししまして

 

そういう話しになったので

自分なりにも考えてみようかと思いました

 

この手の話題について投稿するのは

表現が難しいし、書いて伝えることに

限界があるし、自分の意図が正確に伝わるか

心配になるし、等

心配を上げればキリがないですが

勇気を出して投稿してみます

 

お兄ちゃんと狩猟の話しになったんですよね

それって、銃が必要になりますよね

色々話しをしていて

 

私のダンナさんは釣りが好きで

釣った魚を、その場でしめて帰ってきます

そして、家で捌いて料理して食べます

 

命を殺す、奪うそういう表現になるのかな?

 

命を奪う→捌く→食べる→ごちそうさま

そのサイクルって大事だよなーと思いまして

 

私がいる世界というのは過去一番「死」から

遠い世界にいるんじゃないかなーと思ったんですよね

 

も少し詳しく言うと

私の父親が亡くなった時、実家でお葬式をしたんですけど

その時死に装束を着せるの、親戚の方々が

着せてたんですよね

今ってそういう光景がなくて

昔は今より死が身近というか、割と側にあったんだなぁと

 

何が言いたいかというと

「死」が身近にあるから、「生」を感じることができる

鮮やかになるんじゃないかなーと思ったワケですよ

投げやりな、やさぐれた、あきらめ

そんな考え方をする人が減るんじゃないかなーと

 

いのちの授業をやるなら

例えば

釣りに行くとして、魚の仕掛けを自分で作って

釣った魚をしめて、自分で捌いて、料理して

「いただきます」って手を合わせて食べて

「ごちそうさま」って言う、までできればいいですね

 

人によっては魚をしめたり、捌くのができない人も

いると思います

無理強いは良くないと思います

怖いのは誰だっていやです

 

ただ、誰かがその工程を行なってくれるから

私たちがゴハンを食べられるということを

理解できるといいなぁと思います

 

生き物を食べるためにしめることを

残酷とは私には言えないなぁというのが

正直なところです

 

まとまったような、そうでないような